やっぱり秋のせいなのか…
ビリー・バンバンのお兄さんのほうが81歳で亡くなった(9月11日)というニュースを先日見かけ、『さよならをするために』を動画で聞いているうちに、年一回は起きる、猛烈なノスタルジー・エアーポケットに落ち込み、その上に竹内まりやの『駅』を聞いたものだから… 。
それらの歌が流行った時期の自分を想像してみる…
そして思ったのだが、甘いメロディーの中に見える過去の自分は『青春』ぽく見える気もするが、実生活には音楽などなく、必死というほどでもないが、それなりにその時、その時、を懸命に生きていて、とてもじゃないが、『青春』なんていう時期を生きていた人間とは思いもしなかったのが現状だった。
ただ今現在、爺になってみて初めて、あの頃の自分が『青春真っ只中』を突っ走っていたなぁ・・・と思える。
そう考えると、『青春』というのは、爺になって観るシネマ(物語)・・・というのが、本来の在り方なのでは…ないだろうか。
その意味で、人生60歳になったら『還暦』のチケットが授けられるシステムなんだな。

還暦シネマ『青春』を誰よりも鮮明に観ることが出来るのは、私が『撮人科-自撮部』の写真家であったせいで、シナリオ資料が沢山あったからだと思うが、この写真は写真家になるだいぶ前の18歳の高校生であった・・・。 そこで一句
『青春は 老いたのち観る シネマかな 主演もオレで 客もオレのみ…』 馬骨
この記事が心に響いたら、応援クリックをお願いします!