拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

 佛理覚を解く『漢字方程式』

私と同世代の日本人物理学者が、何やら大変情熱的に『心を数学で解き明かす…』的なことを宣っているYoutube 動画を拝見して、私はビックラこき、同世代のこのジジイに対しわけ解んないライバル意識を爆発させた結果、『物理学』に対して『佛理覚』、『数学方程式』に対する『漢字方程式』・・・というのをあらためて熟考することにした。

 
考えるまでもなく、物理学を解くには『(数学)方程式』は必須で、言語・人種・性別・年齢など関係なく人間は『数学方程式』を発明し、様々な学者たちがそれぞれの分野において影響を与え合い、刺激し合った結果、『数学方程式』は、私の言う『色界』において、ついに人間の知恵を超える・・・と言われるような『AI』の実現にまで到達した。
 
一方で、心に『空界』の在ることを2500年も前に証明した仏陀とその弟子たちは、その頭脳の優秀さにもかかわらず、今から15世紀前にわずかに『禅』を発明したものの、その後は鳴かず飛ばず、商売としての『葬式・法事』に忙殺するばかりで、『人間の何たるか?』という命題に対して確たる答えも明示せず・・・云々と、
 
ここまで『空界』に携わった人間達の負弱ぶりを思いっきり罵倒するところであったが、瓢箪から駒…というか、駄洒落から生まれたような馬骨の『漢字方程式』を、物理学の『数学方程式』に対比して考えてみるに、
昔日の仏弟子たちは、インド仏教を中国に取り入れる際、生身の人間の最高の智慧『般若智』を漢訳するにあたり、後世の人々が非常に難解な『佛理覚』(仏教思想)を解読すべく、『数学方程式』ならぬ『漢字方程式』を工夫、開発、無数の中国僧等の涙ぐましい努力によって、『悟次元』の内容を表意文字としての『漢字』に編集し、『解読できる者は解読せよ』とばかりに、秘伝の如く織り込んだのである。
 
でなければ、『意識』の『意』のような『音+心』・・・という文字を創造できるわけはなく、そこには仏教徒の瞑想体験を拠り所とした『観音』という言葉の、その『音』が、『意』の字の創作に強く関わっていることは明白に思える。
 
私が円覚寺で修行中、老師が私に『漢文が読めるか?』とたずねられた事があり、『読めません』と答えながら自分の無学を嘆いた苦い思い出があるが、今思えば、禅僧にとって漢字の漢文や書(道)で書く『漢字』というものが、実は『佛理覚』を理解するうえで重要な『(漢字)方程式』的な意味を持っていることを、彼らは肌で感じていたのだと思う。
 

             

 佛理覚の『漢字方程式』とは、悟り現象を文字の構造そのものに記録してきた

 “人類的無意識の方程式”であり、人間の最高の"叡智"を『字』に織り込んだ東洋の智慧。

 

  色界に『数学方程式』があるように、空界に『漢字方程式』があり、

  『色即是空・空即是色』…と、その目指すところは同じようだ・・・。

 

 

 

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