拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

 花さか爺ィ(その1)

先週の土曜日(10/18)、友人の指圧師の彼女がオーガナイズした『禅とは何か…』的な講義会を催し、私に好きなように話す場を与えてくれ、彼女を含め6人の女性が集まってくれた。

 

これは、私の長年の念願が34年ぶりに実現した・・・小さくて、大きな出来事であった。

『禅とは何か?』とは謳ってみても、そもそも『Zen』という言葉を耳にしただけの人々の集まりで、友人の彼女が、その友人たちに『日本人の面白いジジイがいるよ…』と、口コミで集めてくれた40〜50代の人と、一人お腹の大きい妊婦の人で、日本人は一人もいない会合。

会の前後に10分程度の『坐禅』を行ったが、皆、瞑想の経験はあるようで坐相は悪くない。

 

この会については4ヶ月前に決定していて、現地の人々を対象に話をするわけであるから、フランス語でそれなりの準備をしなければ・・・とは、ずーっと思いつつも、やはり何もせず一週間前になって、焦りながら、Chat-GPTで翻訳してもらいながら、なんとか『まぁ、いいか…』と、腹を決める。

この時思ったのだが、私の初めての講義に『AIの援助』が可能という、宇宙時間的にみて、あまりの絶妙なタイミングに・・・感涙の涙を流すべきである…とは思った次第。

 

私の学びとった『佛理覚』を我が『佛語・漢字方程式』をもって、2時間に渡って初講義したが、言葉も一応フランス語、そして時折日本語がポロリ、苦し紛れの英語…などなどめちゃくちゃであったが、言いたいことの一割でも伝わったか、どうか?

一応『大変有意義でした…』的な感想をそれぞれ私に言ってくれたが、平気でお世辞をいう西欧文化の中ではそれが真意であるかどうかは定かではない。

 

いずれにせよ私的には、それなりに自信がついたことは事実で、こういった会が今後も催され

西欧の人々にも『佛理覚的な華』を咲かせてもらえば、それこそが本望で・・・馬骨『花さか爺ィ』の夢といえば夢ではある・・・。

 

一昨日、この風景をみて『花さか爺ィ』の言葉を思いついた…。

毎年春になると私達の眼を楽しませてくれる我が村の『チューリップ祭り』の準備中に出会い、チューリップの種が案外に大きいことに驚き、作業中のオッサンに声をかけて撮影。

来年の春、この同じ場所にどんな色形のチューリップが花を咲かすのか、今から大いに楽しみだ。 ・・・こういうのを『花さか爺ィ』と言うのだろうナ。

 

 

 

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