先日、Youtube・Pivot 番組で、アメリカの『AI』研究者ケネス・スタンリー氏とジョエル・リーマン氏の共著である『目標という幻想(パラドックス)』をもとに、著者であるご両人にPivotの若く機転の効く女性司会者がインタビューする動画を拝見してとても面白かった事と、彼等が発見した理論というのが、馬骨が言うところの、禅の『佛理覚』による『遊戯三昧』そのものを言及しているように思えたので、考察してみたいと思った。
私に言わせれば、『今更、パラドックス?』・・・っていう感じがするが、それって『Ai』研究者がようやく『 Hi (=般若智)』のやり方、というか生前の松岡正剛氏がしきりに言っていた『日本の方法』をも彷彿とさせるもので、『Ai』が『Hi』に限りなく接近するさまは愉快だ。
そもそも、どのように彼等が『バラドックス』と遭遇したかと言うと、沢山の被験者に抽象的かつ断片的画像を観せ、それから受けるイメージを興味に任せたまま変遷させていく過程で、予想もしなかったような具体的な画像、創造的な画像を生み出す・・・という結果を生み、それは、『偶然のセレンディピティ(求めずして思わぬ発見をする能力)による理論の誕生』であった…というのだ。
この話を聞いた時、私はつい先日何度も見返した映画『Arrival(メッセージ)』の墨汁による円相の解読を想起したし、何よりも『考えるな、感じろ』から『考えるな、漢字ろ』そして『佛語漢字方程式』へと至った、表意文字『漢字』の持つ『具・抽性』が、馬骨自身の偶然のセレンディピティを喚起させるものであったことだ。
それは、仏教が表意文字である漢字の国、中国へ伝来する際に、難解な仏教思想を漢字を創作する際に『漢字チップ』として『情報』を盛り込んだとすれば、私のような者でも何世紀後であっても、『漢字方程式』としてそれを解読することができたというわけだ。

この『瓢箪鯰(ひょうたん・なまず)』図は、室町時代に描かれた国宝作品で、禅の公案(問題)であり、瓢箪でナマズを捕らえよ・・・という無理難題のパラドックスを文化の基調としている日本としては、彼等AI研究者の『目標のパラドックス理論』みたいなものは、本来『朝飯前』じゃなきゃ・・・だめで、そこには『人をして無にする教え=仏教』の伝統から様々な日本独自の文化を立ち上げた事実について、もっと考察すべきではなかろうか。
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