拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

人は何故『山に登る』のか?

 2週間ほど前にYoutube番組『ReHacQ(リハック〜楽しい人生研究講座)』にて探検家の角幡唯介氏、その彼をリスペクトしているという俳優の東出昌大氏と司会の高橋弘樹氏との会談のなかで、『何故、冒険(探検)をするのか?』という至極ベーシックな司会者の問いかけがあった。

それに対して、探検家の角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)氏は

『山というのが一番説明しやすいので、山に例えますが』

『よく登山をしている人は「自分の山を登る」って言うんですよ』

『自分の山って何なのかって言うと、自分の内側から湧き上がってくる山ですよ』

『自分の経験と発想と内在的なものから出てくる山に登っていくのが登山』

『内在的な内側の衝動に基づいて出てくるものだから、どんどん大きくなっていくと

 自分にとってはそれが絶対的な価値観としてあるから、登らずにいられなくなっちゃう』

・・・というふうに答える彼を見ていて、

 

私は、植村直己氏を代表とする1960〜70年代、日本の登山家や冒険家たちに向けられた質問、『何故、山に登るのか?』を思い出していた。

 

この質問は、元々はイギリスの登山家、ジョージ・マロリー(1886~1924)に『なぜ山に登るのか』と、ニューヨーク・タイムズの記者に尋ねられ、『そこに山があるからだ』と言って、有名になった言葉。

記者   「 Why did you want to climb Mount Everest? 」
マロリー 「 Because it’s there. 」

 

いまだ禅の『公案』という言葉も知らなかった、私の十代後半から二十代前半、盛んに行われていた危険な登山や冒険の時代『何故、山に登るのか?』という問いかけは、登山には全く関心がなかった私も、なんだか非常に重い質問として受け止めていた事を懐かしく思い出す。

 

だから私なんかでも、『何故、山に登るのか?・・・そこに山があるからだ』という問答を覚えていて、今回それを思い出したのだ。

 

      

       『人は何故、問うのか?』・・・『そこに答えがあるからだ』

       それで、我が家に『独坐大雄峰』の掛け軸があるのだろうか?の図

 

 

 

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