いまやどこの国でも『分断』が流行っている。
かつて鳴りをひそめていた『分断』が、まるで火山噴火のように地球上のいたるところで噴出し、あわや第三次世界大戦が起きるのでは・・・と、感じさせるところまで来ているような…
インターネットが普及したころは、世界中がネットワークで繋がり互いのコミュニケーションが活発になって、平和な時代が来るのではないかと思ったものだが、まるで『AI』の発展と反比例するように至るところで『分断』が起こり、収集がつかない状態にまでなってしまった。
科学が『AI』を産んで、人間以上に賢い『人工知能』を世に輩出したものの、世の中は良くなるどころか、それ以前以上に人間の『愚かさ』が露呈し、盲目的に『分断』が分断を呼び社会の不協和音に歯止めが効かなくなっているようだ。
この現象って、一重に『人間の叡智』の欠如・・・にある、と言うのは簡単だが、実際本物の『人間の叡智』を覚醒する観境(つまり教育)を形成するのに長い歳月を要し、そこに眼を据えて真剣に取り組もうとする人間が増えなければ、なかなか実現するものではないのか?
何事もスピード時代、悪い事もこれまで以上のスピードで広がるだろう。
そんな時に、ノンビリ『坐禅』・・・! というのが、ミソで、そこが『坐禅』の面白いところで、『急がば回れ』・・・というのが、非常に人間臭い所でもある。

写真は私が33歳のとき、ニューヨークはハーレムの一室で撮ったモノ。部屋の壁にピラミッド状の三角が描かれていて、私はそれを背景に写真を撮りたいと思ったが、その頃はすでに『坐』がドラゴンボールの『精神と時の部屋』的なものであることを意識していた。
私の考える『坐』には時間がなく、時間が無いところには、『恐れ』も無い・・・と思っていたかどうか? この旅は、私を本格的”禅修行”の動機に向かわせた。
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