拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

人生の究極プレゼント 〜 禅問答

73歳という、自己の人生を省みることができる年齢まで生かされてみて思うのは、生まれた瞬間から『私は何のために生きるのか?』という『問』を探し出す為に懸命に生きてきたように思う。

『答』というのが、『問答』という言葉のように表裏一体になっていて、その正体が『郷理・さとり』であることは、直感的にウッスラと解っていても、そこに至る『問』が何なのか私には解らなかったし、まして『問答』というものが、『重ね合わせ・もつれ』現象の関係にある…とは想像もしていなかったその昔、実際には『問』があまりにも巨大過ぎて、自分の視界から完全にはみ出し、まったく観えていなかった・・・というべきであろう。

 

巨大な『問』が、人生と共に等身大の大きさに観えるまでに、『答』である『郷理』に向かう『道』に、それこそ導かれるように、私の場合は、最終的に円覚寺の門を叩いていたわけだ。

 

『問』など無い・・・と思い込んでいた私に、禅は私に『問答』を真正面から突きつけ、『無』になることで、様々な雑念を徹底的に取り除いたその先に『問』は『答』と表裏一体の円相として鳴り響いていたのだ・・・。

 

自ずから示される道(郷理)は、自ら歩むことで至る道(悟り)・・・というのが私の『郷理』で、私の人生の中で、禅が与えてくれた『問答』は究極のプレゼントであったと思う。

 

この季節になると、スイスの各街で催される『クリスマス市』で、人は親しい人々へのクリスマス・プレゼントを詮索する。そういった風景にふれて、ふと『プレゼント』について考え、 ホットワインで『喫茶去』の真似事をする馬骨の図。

 

 

 

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