拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

『仮想・現実』と禅

いつもレベルが高すぎて話の半分も解るかどうか? で昨日は久々に彼らの動画『イチゼロシステム』、今回のテーマ『シュミレーション仮説 "この世界は現実ではない"』を観た。

 

『仮想現実』という言葉は、映画マトリックス(1999年)で衝撃を受けて以来、人々にとってのっぴきならない現象として、またあれから26年の歳月で『IT技術』が革命的に進展した現在、ますますのっぴきならない現象として私たちの日常生活にほぼ完全に侵入している。

 

1999年当時、私の生活にコンピュータはもちろん、スマートフォンなんかもなかった・・・なんて、今から思うと信じられない、というか末期アナログ時代に生きていた。しかも、そんな中でも私は『禅修行』した者として、アナログ中のアナログ生活にどっぷり浸り、佛的【仮想・現実】と日々対峙していたから、映画マトリックスの【仮想現実】ストーリーを観せられた時の衝撃は、一般の人とはまた一味ちがった衝撃であったと思う。

 

それはそれとして、『AIやIT』関係者、科学者たちが『バーチャル・リアリティ』を考える時、その視点は一様に自己の外側に向かっている・・・ことが、何だか滑稽な気もする…。

我々仏教徒・・・(と言っても色々あるが)にとっては佛的『仮想・現実』という問題は2000年以上も前から永遠の課題として対峙してきた問題であることを思うと、いくら優秀な科学者、技術者といえ、自分の国の最も深淵な一面にカスリもせずに、成人した不幸は誰のせいであろうか。 ・・・と思う今日此の頃。

 

『仮想現実』という言葉に対抗する言葉として『覚醒』というのを考えられるとした時、脚下照顧ではないが、日本文化の足元を観れば一目瞭然であるのに、一旦『科学』となると、視点のベクトルは自己の外側だけになり、それに使う言葉も横文字アルファベットで、『漢字方程式』など思いも寄らないのだ。

だいたい、映画マトリックスで流れる緑のマトリックス・コードという文字列はカタカナ、数字、反転したアルファベットなどを上から下に流しているが、本来は漢字と平仮名が流れるべきであったであろう・・・(馬骨論)

 

 私ら夫婦の三十数回目の結婚記念日パーティの図・・・(なわけないだろ!フェイク‼️)

 

この写真、真っ赤な嘘(フェイク)で、相方が『AI 写真アプリ』で普段着の二人の写真を入力して出てきた、驚きの出来栄えに私はビックリ、相方は『私もお化粧すればこんなものよ!』と物凄い気に入った写真で、心底『フェイク』という言葉を実感させられ、衝撃を受けた一枚であった。

 

今日このテーマで何か書いてみようと思ったのは、実はこの『フェイク写真』のせいもあり、こうした形で私たちの日常生活に『仮想・現実』が忍び込み、うっかりその気にさせられてしまう、ということを自戒もこめ、年寄の遊びの一つとしてありかも・・・とも思った次第。

 

 

 

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