
『 死に際の ドラゴンボールを 追う絵図は 諦めべからず 北斎遺言 』馬骨
先日、Amazonプライムで『おーい応為』、というヘンテコリンな題名の映画を偶然みた。
それが、かの有名な北斎と、その娘お栄(応為)のストーリーとは知らずに見始めたので、映画の出だし場面で『なんじやら・ホイ…』の気分であったが、見るほどに味が出てきて、最期には『なるほどネ〜』・・・と妙に納得している自分がいた。
監督(+脚本)が、私の大好きな映画『日々是好日』の大森立嗣と知って再度納得。
この映画『日々是好日』については、何度かブログに書いたが、その一つがこれ ↓↓
映画の中で、北斎が娘の絵師としての才能を認め、その印に絵師号『葛飾応為』を授ける場面があったが、『おーいお茶』、『おーい酒』などと用を頼むとき娘に呼びかける『おーい』が元となっているらしいシーンがあって、笑えた。まるで馬骨の駄洒落そのままじゃないか、と思ったわけだが、北斎の子孫の一人として案外そういったところを受け継いでいるのかな?
大森監督は、北斎は最期の絵『富士越龍図』を描きながら息絶えた・・・と、解釈した物語であったが、北斎の生き様を観れば、まさにそうであったであろうと、誰もが納得し腑に落ちる最期のシーンであったが、それを観た時、私は大いに考えさせられることがあった。
我々の人生には、『諦める』のか、『明らめる』のか? それはアナタの自由ですよ…と、いいながら、北斎は我々に、『諦めるな、明らめろ!』と、叱咤激励をその生き様と絵で観せた生涯であった・・・ということだ。
『諦める』とか『明らめる』って、何のことか?と思う人が多いであろうが、その問に気付かせるのが『禅』というものであろうか… などと考えているうちに今日から3月か!
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