拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

直感の森

2月28日アメリカのイラン攻撃が始まったが、それは4年前の2月24日のロシアによるウクライナ侵攻を思い出させ、それでなくとも世の中十分『混迷』の最中であったのに・・・。

 

だからこそ・・・なのか、私は再び釈迦が『悟り』に至った事情について思いを馳せる。

確かに、釈迦が『悟り』にいたり仏陀となった事実、それが仏教となって日本にまで、さらに私などにまで届いたということは、奇跡なのだが、それよりも何よりも私は、彼が29歳で出家し、5年間に渡る苦行で死にそうになったとき、はたと気が付き、今で言う『坐禅』することで『悟り』を開いた・・・という流れの中での彼の『直感』による『確信』としか言いようのない彼の諦めなかった事(態度)にこそ全力で注目したい気がするし、そこが最も重要な気がする。

私は、彼の苦行は無駄ではなかったと思う。それは『無』のフィールドに至る為には必要不可欠であったであろう。そして『無』に至ったからこそ『直感』が生じ、同時にそれに確信を抱いたに違いない・・・。

その『直感』は生命の持つ『郷理』から発せられた雷の閃光のようなモノでなかったか。

釈迦はその『直感』により、自己に『郷理』のある事を確信したのだと思う。

 

『悟りの郷(理)』に至った後、彼の『直感』は『直観』になり『観自在』を得たであろう。

 

  

日本には結界が至る所にあり、それは『直感の森』で、『無』から『郷理』へ向かう道なのだ

 

 

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