『自ずと示された道は、自ら歩むことで到る・・・』 とは、このブログの副題。

今回の帰郷で、私は禅寺のことを『山門』と称する理由がわかった気がする。
どんなに平地にあっても禅寺は『山門』なのだ。
郷里では、その『郷』の字が示すべく
解字~ご馳走を真ん中にして二人が向き合うさま…
久々に食べる日本の寿司を真ん中に、姉の一男一女の各配偶者とその子供たち等とで、総勢9人が取り囲んで和気あいあいの時をすごした。
姉が二人の子を産んだだけで、これほど家族が増えるのか…と、自動的に『叔父』になっていた私はただ驚くばかり。彼女の子供たちは50を越える歳になるが、これまで私と会ったのは2,3回。それでも『叔父』として親近感を抱いてくれている様子に、ちょっと気恥ずかしいような・・・。
事前に、姉に『禅の話をしたいが…』と相談すると『場がシラケるからやめときなさい』とは言わなかったが、そうした意向であったので遠慮したが、果たして『無宗教』であってもそれぞれ自分らの人生を精一杯生きている彼らの様子に、改めて『悟り』とは何か?と、思ったとき『山門』の解答を得たような気がしたのだ。
一般の大衆にとって、そもそも『大いなる問』を抱く事自体が、『悟り』云々する以前に容易ではない、つまり困難である・・・という事に、私は気づくべきであった。
『自ずから示された道を、自ら歩む…』には、『大いなる問』が必要であり、その解答に向かって『大いなる決意』が絶対に必要であると思ったとき、『無門関』という中国の古い禅書に『銀山鉄壁』という言葉で、『悟りの道』の困難なことを表現していた事を思い出した。
禅寺の修行はまさに『銀山鉄壁』に登る如きであるから、『山門』というわけだ。
夏目漱石は若き日に円覚寺で修行した経験から『門』という小説を書いたようだが、禅寺の門が『山門』であることを実感する事が出来ずに、修行者として挫折したのであろう。同時期に若き鈴木大拙が修行していて、後に『山門』から下山してからの活躍には目を見張るものがあった・・・というわけだ。
私自身を振り返っても、前半の禅修行を終えたつもりでニューヨークへ渡ったものの、『山』へは全く登っていなかった事実に気が付き、再度『瑞鹿山ずいろくさん(円覚寺の山号)』に登った・・・という経緯があったが、それほどまでに『禅・門・答』という『山』は案外に困難を伴う、ということであったと改めて思った次第。
そして『山』に登るかどうかは、各自の『自由』にまかす・・・『自然』の掟による。
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