昨年、奈良に一ヶ月の長期滞在で『古佛巡礼』と洒落てみたので、今年は金沢に一ヶ月で『日本再発見』と洒落てみることにした。
・・・というのは『洒落』というか、9年ぶりに我が『鈴木大拙館』を訪ねたところ、彼の思想を紹介するテキストとして著書『大拙つれずれ草』の中の『日本再発見』の章を拡大して展示する一文に、私は非常に触発され、この章をじっくり読みたいと思い、職員にこの著書について調べてもらったところ、絶版で電子書籍にもなってない…とのことであった。
そこで閃いたのが、金沢で今有名な『県立図書館』。
もともと行く計画であったので、その目的を持って揚々と出かけたところ、貴重本として図書棚に展示していないが、手続きすることで館内にて閲覧できる・・・とのことで、例の『大拙のつれずれ草』十数分後には私の手の中にあった。
この章『日本再発見』は、敗戦後の日本人を激励し、戦前に見失ってしまった日本文化の本質を取り戻すことを力説、そのためには『自然』という言葉の本来に立ち返ることが最も大切である・・・云々という内容であった。
そして彼がこの章で力説していることは、今私がやっていることのように思ったし、時代はだいぶ変わったものの、問題の本質はやはりここ東洋が意味する『自然』・・・にあると、『鈴木大拙館』のスタッフも考えたからこそ、この一文を大拙館で拡大展示して、館を訪れる現代人にむけて問題提起しているのであろう。
日本再発見 (副題)自然にかえれ
再発見は日本にとどまるべきでなく、中国にもインドにも東洋全体にわたりて、おこなわれるべきである。否、西洋にても再発見すべきであろう。
つまり人類全面の動きの上において再発見がなくてはならぬのである。(・・・抜粋)

この宇宙ステーションを思わせる、石川県立図書館で読む『大拙づれずれ草』の一節は私にとって壮大な般若波羅蜜多シンフォニーとして全身を震わせずにおかなかった図
金沢は私にとって『大拙の街』であるが、果たしてそうであるのか?を検証する意味で滞在中に誰彼となく『アナタは鈴木大拙を知ってますか?』というアンケートをとることにした。
今日までに、タクシーの運転手、板前、本屋の売り子、ウエイトレス、床屋のおばちゃん、骨董品屋のおっさん、おばさん、居酒屋の女将・・・などなど15人以上にこの質問をぶつけてみた。
結果は散々たるもので、95%は『知らない』であった。
タクシー運転手は職業柄、『鈴木大拙館』を訪れる人々を運ぶので、彼の名前を知ってはいるが、『哲学者ですよね…』の認識レベルであった。床屋のおばちゃんなどはなぜか絶句するほどで、『すみません…』と謝られてしまった。
一人、寿司屋の若職人(35、6歳)、彼は私の眼からは雲水を思わせる、つまり無駄口をしないが、客を気遣う風やてきぱきした、いかにも昔気質の寿司職人を思わせる青年は、『知ってます』と一言。そこでまさか、アナタはどの程度大拙を知ってますか?とも聞きずらく、まぁ禅者としての大拙をしっているのだろう…と思うことにした。
そして、もう一人は金沢でも屈指の観光名所・武家屋敷地区で藍染商品を製作、販売ししかも珍しくフランス語堪能な40代前半ぐらいの女性は『知ってます。禅をヨーロッパに広げた人ですよね…』との答えを得られて私は嬉しくなって、トンボをデザインした藍色の暖簾を買ってしまったが、よく聞くとフランスに2年滞在した時に、ヨーロッパ人の友人から『鈴木大拙』の名前を聞いて知ったとのことで、『この知識は逆輸入なんです・・・』とのことであった。 さもありなん…というか、実際問題大拙は海外でこそ知られる禅者ではあった。
ということで、郷土が誇る人物としては、むしろ『西田幾多郎』(大拙の大親友で哲学者)であった。しかし、あるタクシー運転手が言っていたが、現在小学校で『郷土の偉人』として『鈴木大拙』も教えている・・・とのこと。

大拙館で購入した T-シャツには大拙の言葉『それは、それとして』が書かれている図
まさしく『それはそれとして…』私は、鏡に映っている自分が左右反対であることに初めて気づかされて、『日本再発見』どころか、『虚自己再発見』の大問題をつきつけられてしまったのだ。(しばしば、美しくもない我が面を披露して恐縮です。)
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