昨日は、金沢からバスで一時間『木彫の街・井波(富山県)』という、金沢にくらべれば観光客の圧倒的に少ない田舎町へ、やはりこれも相方のイニシアティブで行ってきた。

千尋の谷へ、我が子を突き落す獅子の木彫の前で・・・
この『獅子像』を彫った木彫師の方と話す機会があり、この獅子が我が子を千尋の谷へ突き落す場面であることを知ったが、無知な私は神社などにいる『狛犬』だろうか、と思っていたのだがまったく違って、はるか昔聞き及んでいた『千尋の谷』の話が、この機(金沢の旅)に及んで現実に眼にする光栄にほっし、感慨深い思いに浸る。
というのも、この数日前に金沢市内に点在する金沢三大作家(泉鏡花・室生犀星・徳田秋声)の内の徳田秋声記念館に行った時、彼の生い立ちと、文学の経歴などを見聞するうちに、徳田秋声(1871年生~1943)、と同郷同世代の鈴木大拙(1870~1966)との私に与える人生観というもののあまりの違いに、私は内心非常にショックを受けたような気がしたのだ。
『ショック』というのは大袈裟のようだが、この二人の人間の生き方の違い・・・それを改めて認識する事こそが、私の今回の『金沢長期滞在の意義』ではなかったか、と直感し、その後徐々に確信に到る過程で、木彫の町・井波で『獅子の逸話』に出会った・・・ということなのだ。
仏教で『色即是空』というが、『空の探究』へ向かう人生が『千尋の谷』からの脱出であることを思うと、他の人はどう思うか知らぬが、私は大拙の人生の深淵さに改めて感動し、彼がそれを啓蒙することに一生をかけてくれたことに敬意を払わずにいられない。
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