初期の禅修行時期を思い返すと、週末の土日坐禅会・・・ということで、修行中、修行後ほとんど誰とも話すことなく、ひたすら坐禅するのみ、時折老師の提唱を拝聴するといったことであったから、自分がやっている禅というものがどういうモノなのかを多少とも知りたいと思ったであろう若き日の馬骨は、それを鈴木大拙の本や著名な禅僧老師の本などに求めた、という事情がまずあった。
これらの本は実際に修行体験のうえに書かれた本であるから、禅修行における『魔境』という現象…とくにある程度修行が進んだ中級者らの間に起きる『魔境』という現象についての教えがあり、その現象に取り合い、引き込まれてはならぬ、という厳重な注意を修行者に促している記述に何度か出会い、『へ~っ、そういうことがあるのか…』と、印象深く受け止めた記憶がある。
ーー仏や菩薩らが天からやってこようものなら、弓でもって撃ち落とせーーなど、昔の修行者が体験したのであろう『魔境』に対して激しい表現で拒絶を教える昔の禅僧の言葉などを紹介しながら、例えば『空中浮遊』など超常現象の一切を幻覚として取り合わない禅の姿勢を鮮明に示してくれている。
そしてそれは非常に重要な『禅の教え』であった、私は思う。
本であれ、実際に禅僧の口伝えの教えであれ『魔境』についての注意を知らなければ、坐禅瞑想中に起きる様々な現象(幻覚)に憑りつかれ、あらぬ方向に道を誤る可能性の大きい『行』であることは間違いないと思う。

井波の郷を訪ね、ある小さな滝に出会ったが、一枚目の写真が左・・・
相方の写真を撮っている内に、『ゴオ~!』という音と共に水量が一気に増して滝を
流れているではないか!! 信じられない現象に相方に確認とった図(左)
まぁ、こんな現象にあったので『魔境』というような事を思い出したわけだ。
相方によると、『どこかにセンサーがあって、それで水位が増したのヨ…』 ?!
こんな田舎の人の少ない『滝』にそんな装置をつけるわけないだろう・・・とは馬骨。
私は井波~金沢間のバスからの風景、往復する際に観じたことは、行く際と比べ水田に張っている水の水田の量が多かったことと関係している、つまり水田に水を引くために貯水池の扉を開いた絶妙なタイミングとの出会いが、あの滝との出会いでなかったかと思うのだが・・・ とにかく世の中『不思議三昧』であることは楽しい。
この記事が心に響いたら、応援クリックをお願いします!