拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

眼の無いダルマさん

今回の旅、まぁ雪の北海道は別として東京、金沢、奈良と文化都市のいくつかを回り、神社仏閣を中心に訪れたわけだが、改めてこれらが我が日本伝統文化の中心に、しっかり存在することを確認することが出来たような気がする。

 

私などは禅修行を通して、仏教にそれなりに関わって来たから仏像などに関する興味も尽きないが、『自分は無宗教です』と言っているような人は、観光として訪れる神社仏閣に対して、どんな思いを抱いて観ているのだろうか・・・と思う。

修学旅行中の学生グループをいくつも見かけたが、自分の修学旅行を振り返っても寺や仏像には何の感慨もなく、ほとんど記憶にも残っていなかった事を思うと、今こうして時空を超えた眼で仏像を見つめる自分があることを不思議に思ったりする。

 

私たちの場合、どの都市に行っても神社仏閣参りに疲れるといつもの如く、立ち並ぶお土産屋さん、民芸品店などに繰り出し、軽いテンションで眼を楽しませることにしているが、奈良のお土産屋さんで、ゴルフボールぐらいの小さな『眼の無いダルマ』さんの置物がズラッと並んでいる風景を見た時、このようなダルマの置物がどこの都市のお土産屋さんにも置いてあったことを思い出し、同時に『眼の無いダルマ』の『眼の無い』事に意識が初めて行った・・・。

これまで私は、『眼の無いダルマ』というものを、いずれ目出度いことがあったとき、眼を書き入れる事を前提にしたモノと観ていたのであるが、この時私は『眼の無いダルマ』を初めて『眼の無いダルマ』として観ている自分がいて、じつに驚いたわけだ。

 

一般的に『眼の無いダルマ』というものを買う時は、何か夢がかなったとか、祝い事が成就したとき初めて、ダルマに眼を書き入れるものであるのだが、ダルマの真意はそこではなく、『眼の無いダルマ』の『眼が無い』ところを観て、初めて『目出度い』のだと、ダルマは言っているのだ。

それが観えた時、初めて『眼の無いダルマ』に眼を書き入れる事が出来るのだと…。

 

ということであれば、『眼の無いダルマ』があのように大量に店先に置かれている日本という国は一体何なんだ!! 禅問答の『答え丸出し』の『眼の無いダルマ』を店頭に並べていながら、ダルマさんは『面壁九年』の構えで、『ダルマに眼の無い事』に一人でも多くの人に気づいてもらいたい、そして一刻も早く『眼を書き入れ』てもらいたいと祈願している。

そもそも、ダルマさんが禅宗の祖師だと知っている人は稀であるが・・・

 

       今回、永平寺で見かけた大きな『達磨』図

 

 

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