拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

般若コード・レイン

『 IT』、『AI』などTechnology Term(テクノロジー用語)が、日常的に私のような爺ィの周辺を飛び交う今日此の頃、それらの用語がかもす雰囲気を勝手に解釈、利用して、非常に解りにくい『仏教』やら『禅』などに適当に当てはめ(?)て解った気になっている私・・・。

 

その最初の兆候は、やはり映画『マトリックス』(1999年公開)であったろうか。

1991年、禅修行にピリオドを打ってスイス在住するために渡欧した私にとって、『マトリックス』というSF映画が『AIによる人間支配物語』で『仮想現実』というモノを私達に視覚化して観せた・・・ことは、私にとっては二重の意味で大変なショックだった。

 

一般の人々にとっては、『AI社会の将来に仮想現実を使って人間を支配するストーリー』・・・その一点に驚愕したであろうが、禅修行を終えたばかりの私にとってこの映画が示した『仮想現実』というのが、『悟り』の眼を持たない者の日常こそが『仮想現実』である…という事を一方で暗示しながらも、映画はストーリーそのままに『悟りの現実』からどんどん話がズレていってしまう事に、私は長らくコンフューズしたものだ。

私が最初のコンピュータを手にしたのが、恐らく2004年(?)頃、そしてスマートフォンを手にしたのが2011年の6月頃・・・と考えると、何か感慨深いものがある。

 

IT・AIの研究が究まるところが『認識とは何か・意識とは何か・自己とは何か』・・・というような処であれば、自然、『仏教』や『禅』が目指す方向性へと共通するようなIT・AI用語が産まれ、また物質の最小単位研究で量子力学が発見した性質『もつれ・重ね合わせ』は『心』の最小単位を探究する『禅』と共鳴するような気がするのは『気の所為(せい)』ばかりではないだろう。

 

      

映画『マトリックス』や『Lucyルーシィ』では『デジタルレイン』が降っていたのが印象的

でしたが、『禅』では不可視で不可思議な『般若コード』が降っているでしょう。

 

 

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