私の勝手な仏教理解、解釈・・・の線上にいつの間にか『佛語漢字方程式』なるものが浮上していた。
そもそもが『東洋自分なり研究所』所属なのだから、本当に『自分なり』な解釈で世間様には通用しない屁理屈というか駄洒落に、量子力学の理論『もつれ・重ね合わせ』なんていう単語も織り交ぜて一見それらしいニュアンスをかもしたりして楽しんでいる。
ある日、仏教の三法印である、『諸行無常・諸法無我・涅槃寂静』の『無常』についてボーッと考えていると、この世は『常なるモノ無し』・・・と本来読ませるものであるが、禅者としては『無は常にある』と読むべきでは・・・と思ったわけだ。
その解釈が成り立てば、普段私が言っているように、『佛語』には意味の『もつれ・重ね合わせ』があり、一方が解った時、他のもう一方も即座に解る、『色即是空空即是色』現象が起きるのではないか・・・という屁理屈に至る。
であれば、『無力』という言葉。
本来は無力感にさいなまれるほど悲しい『無力』なのであるが、そのずーっと先にある『無の力』というものが『諸法無我』というものなのであろうか。
『天上天下唯我独尊』・・・と宣った釈尊が至った境涯というのはその事であろうか。

我が家から眺める『独坐大雄峰』の『書』
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