拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

スイスで何故、佛語漢字方程式なのか?

 2017年今から9年前、初めて伏見稲荷を訪ねた時、お狐さまのお告げか・・・『考えるな、漢字ろ!』の御託宣を賜り、あれから試行錯誤するなか『佛語漢字方程式』にまで行き着いた。

 

まぁ、行き着いた…といっても、たった一人で駄洒落をベースに適当な『もつれ・重ね合わせ』なんかを駆使して、漢字の秘義(奥深く秘められた教え)を解読した・・・なんて『自分なり』の解釈を、唯一の媒体ブログを通して発表。

 

しかし、それにしてもヨーロッパ在住の馬骨になんで、よりによって『漢字方程式』なのか?だよね。西欧の人々に禅の一端でも伝えられたら・・・というような気持ちを抱いているのに、その方法論の中心が『漢字』か・・・。と、ずーっと最近までどこか腑に落ちない気持ちで研究(?)を続けてきた。

 

で、洒落にしても『佛語漢字方程式』と『方程式』と称したあたりから、無意識の所で『方程式』に値する・・・ものが『佛語漢字』にはあるのでは…と思っていたが、物理学に対応して『佛理覚』を造語してみると、科学的現象のほぼすべてを『数学方程式』で表す科学界が、ミクロを扱う量子力学を探究する中、これまでの『数学方程式』が適応できなくなっているとき、まさに量子力学以上に眼に観えない『佛理覚』を追究してきた古の中国や日本の仏教祖師、教徒らが『漢字(ビット)』に込めた『シンプルな表象の下に、膨大な情報量と細部がかくされている…』であろう処を『直観』した時点で、『佛理覚』を研究するには、洋の東西に関係なく『佛語漢字方程式』が必要になってくるのだ・・・と思うようになった。

 

本当にそうなのか、どうかは私には解らないが、『漢字』が文字通り『文字』であるならば、それを幼少時から学ぶ日本人は、他の事は『AI』にまかせ、『佛語漢字方程式』学習には手書きで時間をかけてじっくり学ぶことが、これまで以上に重要であろう。

 

    本日のレマン湖と相方・・・佛語漢字方程式で『土』であろか。

 

 

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