どういう風の吹き回しか、禅修行を始めてから一番最初に買った本『Living by Zen(禅による生活)鈴木大拙著』の再読を始めた。
1983年、私が30歳の時買った本で、裏表紙に再読したときの日付と年齢の記録があり、30代には4度読んだようだ、その後も何度も読んでいて、線引きした部分にその時の年齢『72』が見え2年前にも眼を通していた。
今思うと、若気のいたり・・・というか、馬鹿気のいたりか、知らぬが佛か、よくぞこれほど難解な本を買っただけでなく、今日の今日まで読み継いで来たものよ…と思う今日此の頃。
まぁ、難解というと、『般若心経』だって初心者、熟練、関係なく寺で修行すれば否応なしに皆と一緒に読経させられ、説明一切無しでとにかく大声で唱和するのみ。
しかし、考えてみると寺での修行は一から十まで解らないことばかり、しかもその説明など一切ないのが禅の世界。 だからなのか、親の寺を継ぐ立場の修行僧でもなければ、一年以上も修行にいそしむ在家の修行者は、相当な変わり者といえる。
実際、私の2度目の居士としての修行期の5年間、私の後に続く居士修行者は一人もいなかった・・・。
ところで、この本の初めの方に『聖なるものを、生活の中に認識する以上に大切なことはまたとあるであろうか』・・・と書いてあって、私は妙に腑に落ちて、これは書かねば、と思ったしだい。
私はヨーロッパに住んでいて、何かが欠けている感、何か満たされない感をしばしば抱くが、それってこの『聖なるものを、生活の中に認識する文化』の欠如である、とこの一節を読んだとき腑に落ちた気がした。

日本には在って、西欧には無い『聖なるものを生活の中に認識する文化』図
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