『スイスにいるんだ…オレ?!』って、ふと気が付く時が、たま〜にある。
先日もあって、久々に我が愚脳のオンボロ『還暦スキャンGPS』に、『生まれてから今日までの移動状況』を入力してみると、面白い現象が観えてきた・・・。
最近『悟りは郷理』・・・なんて言って、人様には『帰郷』を促すような事を言っているが、現実の己は、極東の生まれ(北海道・北見)・・・ということもあってか、東京〜神戸〜ニューヨーク〜スイスと、西へ西へと知らぬ間に移動していた。
結果だけみると、まるで西方の『極楽浄土』を目指していたような?・・・
極楽浄土:仏教において阿弥陀如来が西方に住むとされる、苦しみが一切なく、全ての願いが満たされる理想の浄土(清らかな世界)(by Google)
まぁ、そんなことはないだろう…と熟考してみるに、そういえば一理ある、というか。イヤイヤ、思い当たる節が大いにあるかも・・・と思い直した。
高卒して、東京に向かい離郷するまでの私は、目に見えない宿命のようなものに支配され、『地縛霊』にがんじがらめにされ、それに必死に抗(あらが)っていたような十代を過ごした。 当時は自分の気持を言語化する能力もなかったし、そもそも事態を分析することもできなかったのだから無理もない・・・。だからかな、今頃せっせとそれをしているのだろう。
私の郷里、北見からオホーツク海が見える網走まで、わずか45Kmだが、車のない少年時代の行動範囲は実際10Kmもあったであろうか。周りを低い山がとりまく北見盆地が私の郷里で、視界を遮らない海辺に行くことは、わざわざ汽車に乗って行く遠い所であった。
だから今思えば、高卒後『東京』という名の『西方』に向かうことは、私の人生において青天の霹靂のような出来事であったと言える。
その意味では最初の『地縛霊』からは解放され、東京から神戸に移動し牛乳配達をしながら写真学校に通った時代は、実に晴れ晴れした気持ちであったことを昨日の事のように思い出す。
しかし、『地縛霊』からは逃れたものの、『自縛霊』からはいまだ解放されていなかったということなのか、神戸から東京に鍼灸専門学校入学する形で『禅寺』との、私にとって奇跡とも言える『縁』に恵まれた。
もちろん当時は、自分が『自縛霊』に取り憑かれていたとは全く気づく事もなく・・・と、ここまで書いて、『自縛霊』と『霊』とは書きましたが、私が幽霊みたいな『霊』を信じているわけではない、ことを一応おことわりしておきますが、太極的にみた『道』ということでは始めは誰でも『自縛』する時期を持つわけですから、それを『自縛霊=自我(エゴ)』と言ってもまぁ、間違いではないと思います。そして確かに眼に見えない力(ちから)で、自我(エゴ)は自縛するわけですから・・・。その意味では『自縛霊』というのは正解のような。
その『自縛霊』に対して、禅寺で学ぶ、『坐禅』やら『読経』やら『作務』、和尚による『提唱』のようなもの、つまり禅寺での修行自体が、その自縛霊からの解放に全力を傾けて援助してくれているわけです。
まぁ、そういうように考えると、西洋社会が産んだ『ゾンビ〜現象』というのは、東洋が産んだ『禅』の表裏一体の現象ではないだろうか・・・と私は今思う。
『ゾンビ〜』のように『地縛霊』でなおかつ『自縛霊』に取り憑かれ、地上のアチラコチラを目的もなくウロウロする現象というのは、本当は『禅』のような『地・自縛霊』から解放してくれる『道』を強く求めている姿・・・なのではなかろうか、などと思ったりしている。

17歳の高校生の私。『地縛+自縛霊』に取り憑かれながらも抗う図