ボクにとってSF=See Future で、これまで沢山のSF映画をみてきて、以前にも書いたけれど どの映画でも 未来の地球人の生活はどうもバラ色では
ないようで むしろ現在より 都市はかなり荒廃している場合がほとんどで 今回もSF映画定番の荒廃ぶりであった。
特にこの映画「ELYSIUM」のテーマは 貧富の差・・・であるから なおさらその辺を強調しているのだろうが。
146年後 2159年の地球での生活がこんなものであるなら その前に死を迎える我々は幸運といえるだろう、などと思った。
金持ちは 素晴らしい環境の人工衛星都市に住み 貧乏人は 地球上に住んでいるのであるが すっかりスラム化して ゴミだめのような
環境に大勢の人間が住んでいる・・・という状況を観た時 ボクは思った。
もし、未来の人間がこんな状況であるとしたら 人間には 進歩というものが ない ボンクラなのだと。
ボクが SF映画が 好きなのは SF=Spiritual Future を夢見ている からに違いない。
人の精神は 果てしなく進歩すると 信じて疑わない・・・SFなので こんなゴミだめに 平気で住んでいる 未来人に大いに失望するけれども
もし現在の人間が 叡智を結集して現在のような放射能汚染を 克服したならば 経済的には貧しくても 心豊かな生活が必ず 待っている。
思うのだが、 貧乏とは平気で ゴミだめに生きる人間の生き方で 金や資源はなくても 環境を清める心があるところには 侘び寂びの(智慧と慈悲の)
心豊かな生活をする人間の生き方があるのだ、と。
だから、矢沢永吉が いみじくも「原発関係者が誰もケツ拭かない国に明日があると思いますか」・・・と云ったというが、
まさに原発村の人間どもは ゴミだめ人間だ・・・と言ったわけだ。
