その腰痛で 木、金曜日と仕事を休んでしまった。 体調不良と言っても 頭は何とも無いので 横になりながら
「南極・・・なんとか」とか 「家政婦・・何とか」などという ドラマを見て 社会勉強などしていた。
その間 頭の片隅で 先日パリ行きの 新幹線の中で読んだ 「鈴木大拙の言葉と思想」秋月龍珉著 などに刺激され
ボクの仏教について 多少 思考してみた。
スイスに来てから 友であり仕事の相棒である アントニオから 「仏教って どんなものだ?」と5年ぐらい前に聞かれて
トラック運転中でもあったし 正直なんて答えていいか わからないので 返事をしなかったのだが、その答えについては
つねに考えては いたのだ。
仏教と一言で云っても いささか広うござんす・・・ぢゃないが 確かに広い。
だから ボクの仏教と 限って 仏教について話すことが 出来るのではないかと 怠惰なボクは思考した。
ボクの仏教=禅 は 人をして 「自らにして 生きる」・・・そのような生き方をする 教え と 考えている。
以前に 「自灯明」というタイトルで 書いたが、釈迦の「自灯明、法灯明」の教えが ボクにとって仏教の真髄で
あると思っている。そこに至らせる道が 仏道であり菩薩道だと 思う。人をして独り立ちさせる教え。
しかし、自灯明というのは わかる気がしても 法灯明というと その「法」とは?となると
説明など できるものではない。
まさに ブログのタイトル「拈華微笑」で 釈迦が提唱として 話す代わりに 華を弟子たちの前に 掲げ示した・・・
弟子たちは 意味がわからずポカーンとしていたが ただ摩訶迦葉(まかかしょう)一人 微笑で 応えた・・という話。
だから 誰かを誉め讃えて「師」「長」「様」という形でトップに据えて 弟子たちを拘束する ピラミッド型の教団的
なあり方を ボクは否定する。 教えを乞うている弟子が 道場にいる時は 指導者と弟子という形は当然あるが卒業
したら 弟子たちが 独り歩きしてゆかなければ 本当ではない。
「犀の角の如く ただ独り歩め」とも釈迦は言っている。
