戦後生まれのオジサンというか、私たち老人等は、宗教を利用した軍国主義を敗戦後に大いに反省するあまり、宗教を遠ざける風潮の中で育ったわけで、その子孫の3代目ぐらいが今の若者であるのだから、総じて『宗教』に無関心だ。
しかし、その風潮というのは日本のみならず西欧でも同様で今や死語になりつつあるのでは?と、思うような『宗教』は、『AI時代』という想定外の時代の中にあって、どのような意義を持つのだろうか?… などと妄想してみた。
人間が『生』を受け成長する中で、最も大切な教育。
というような事を考えたとき、この多様性に満ちた21世紀という超複雑な時代に私達は子息に何を教えるべきであろうか、その答えを持つ子の親は少ない。
例えば、昨夜この世に生を受け白紙状態の子供達は、『A I』や『GPS』によって生きる知識を身につけて、果たして幸福になることができるであろうか? 甚だ疑問だ。
GPS(Global Positioning System=全地球測位システム)で、自分自身の地球上の現在地は解るが、より重要な精神上の現在地はそれでは知ることが出来ない。
そういったようなとき、学問でも科学でも哲学でもない『宗教』の出番というのが考えられるのかも知れない。 まア、心のGPSのようなモノか。
そこでちょっと馬骨流『GPS』を考えてみた…
GPS【Gassho-合掌(今ここの徹底)、Presence-現(在)、Satori-悟り)というような事で、心の自分の立ち位置を認知する ことが人生において最も大切な『縁起点』なのだと思ったりすると、『宗教』こそは、子供のうちに基礎を身につけることが大切。
『天上天下唯我独尊』・・・は、宇宙にあって、最初にその立ち位置を示した人間として当然の雄叫びであったであろうか。
この記事が心に響いたら、応援クリックをお願いします!