拈華微笑

自ずと示される道は、自ら歩むことで到る・・・自然

『ドラゴン・ボール』の解明 〜 その1

今や『ドラゴンボール』というキーワードは、私のような爺ィ世代から、Z世代のガキ等まで国境を超え、世代を超えてスピリチュアルの世界の入口に立つ者達にとって『Something』ではある・・・。

 

     昨年2025年に、京都の東福寺で見かけたドラゴンボール図

 

『ドラゴンボール』を漫画に描かれた絵空事・・・で済ましてしまう人間もいれば、禅寺の仏殿や法堂と呼ばれる建物の天井にダイナミックに描いて、大真面目にその『問』に探究を促す人間達もいる事を、特に私たち日本人は肝に命じなければいけない、と思う今日此の頃。

 

私は週2回、レマン湖畔にあるサッカー場を兼ねた400m陸上トラックを6周することに努めている。しかしその陸上トラックは、まるで散歩道の延長のような感じで散歩する人も来れば、小さな子供たちが自転車で乗り回るような場で、陸上トラックを神聖な修行場と考える私は時折『この野郎…』と思うときもあるような場所ではある。

 

先日、そこを走っていると、何組もの犬と飼い主が訪れては、ほぼ例外無く飼い主はボールを放物線状に空に投げ、そのボールの着下地点をめがけて犬が無心に駆けていく・・・そういった風景を見て私はふと閃くものがあった。

以前より私は般若心経の説く『色即是空空即是色』、以下『色=空』と書くが、『色』といい、『空』といい、その文字の選択の絶妙で深淵な配慮に感嘆する者であるが、この犬と飼い主の様子を観て、ボールが『空』を切ることに気が付いたのだ。

 

『玉のような赤ちゃん』は、陰陽印のように『色空』が円相として整って在る状態であるが、その『玉』というのは、量子力学的な『重ね合わせ・もつれ』の性質を本質的に持った玉(ボール)の重ね合わせであり、『幼子が 次第次第に知恵つきて 仏に遠く なるぞ悲しき』と古人が詠うように、2、3歳ぐらいから知恵をつけ始める瞬間に、人は自動的に『空球』を空高く放り投げ、一方の『色球』はそれを追い始める・・・それが『道』となる。

 

      レマン湖畔、Veveyに在る『ドラゴンボール』像

 

三十数年前、スイスのレマン湖畔でこの像を観たときには、本当にビックリした。

なんで、こんな所に『ドラゴンボール』が在るの??と思つたものであるが、この今まさに放り投げんとするボールのイメージは、恐らく私の心の深くに刻まれていたのが、先日ようやっとその意味を解明した・・・ということであろうか。

 

 

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