『浦島太郎』のおとぎ話・・・一体、どれくらいの世代まで通じる話だろうか?
『磯辺で子供たちにいじめられていた亀を助けたことで、竜宮城に招かれ歓待を受け大いに楽しんだ後、地上に帰ってくると300年(?)が過ぎていた…、その時、乙姫さまから土産に貰った『玉手箱』を開けてみると、白い煙とともに爺ィ・・・になってしまいました…』
と、いうような内容だったと思うが、自分事として考えてみた時、『定年退職』というのが案外この『玉手箱』に該当するような気がした今日此の頃、『玉手箱』を考察してみた。
20種類以上の職種を転々としてきた私は、いわゆる『アルバイト』という言葉から発生した『フリーター』の典型で、転々としながら生きてきたから、『死ぬまで働く運命にある…』と覚悟をしていたのだが、スイスでいざ『定年退職』を迎えた時、スイスでは働きたくても仕事がない・・・という現実に直面し、それならばそれなりに細々と生活しましょうと、『定年退職』からもうすぐ9年目を迎えようとしている。
『定年退職』というのが『玉手箱』だ・・・というのは、それまでは、その日その日の仕事のことで、自分がある程度『爺ィ』になっている事もすっかり忘れて仕事に没頭していたわけだが、『退職』して『毎日が日曜日』なんていう事になると、すっかり『爺ィ』になった自分に真っ向から対面する日々に生きるわけで、そういった意味では実に『玉手箱』だと思うのだ。
馬骨流に『玉手箱』を解釈すると、『時間圧縮装置Box』である『玉手箱』って、案外『禅仏教的』なシステムで、『生死事大・光陰可惜・無常迅速・時不待人』・・・って、『時』人を待たず的な警告に対する対応、そもそも寺で『坐禅』すること自体が、前倒しで『玉手箱』の開封によるワクチンみたいなものではないか・・・。 な〜んて思ったりする。
しれみれば、『禅』というのは、生きている人間にたいして『成仏しろ!』と引導を渡すシステムのところを、娑婆では『玉手箱』という可愛らしいおとぎ話で、『引導システムの最後警告』的にやんわりと警告しているわけだ。(日本文化の親切なところ!)
『定年退職』したとたん、目標を失って腑抜けみたいになる老人が多いと聞くが、その時プレゼントとして贈られた『玉手箱』は、『引導』だと思って覚悟を決めて世のため、人のため、自分のために精一杯生きればいいんじゃないかな…。
『玉手箱』の製造元は『時』の問題だけあって『寺』にあるんだから。寺に行って坐禅しては前倒しで『玉手箱』の時間圧縮の割合を減らしてゆけばよいのだと思う。

『玉手箱』にビビりまくる馬骨の図
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